普通に発想する
私は大学時代、演劇サークルに入っていたわけだが、この時にふと思ったことがある。それはオリジナリティーの病というものである。
演劇は、学生が思っているほど、新しいことが可能な分野ではなく、ある種、音楽でいうところのクラシックのような趣が強い。
ただ、学生演劇で脚本やりたいという人間に限って、過去へのリスペクトが足りていない。
学生たちの現状を考えるに、本を色々読むわけでもなく、歴史に学ぶのでもなく、安易な前衛あるいはコントテイストの方向へ行ってしまう。メンヘラチックだったり、お笑いであったり。
どうしてかわからないが、演劇の中で、自分の痕跡をつけたいのか、それとも自身のエッセンスを出すのに必死なのか。はたまた、過去をなぞることに若気なりの反発心を持つのか。いずれにせよ、そういう勘違いが演劇をおかしくさせてしまう。
そうではなくて、たくさん財宝のように輝く過去の戯曲たちがいるのだから、これをあえて再び磨いてみる必要がある。その上、こういった研磨を通して、新しい発想が生まれることの方が多い。
まずは自分で書く前に、他者の作品をやってみることが重要だ。他者の土台を借りるものの、自分の個性は全く消えない。
そういえば、日本では、オーソドックスな知識人が少なくなってしまったが、こういったことと関係があるのだろうか?