衣裳や舞台がわからない脚本家

 演劇で裏方の長かった私は、ほとんどの場合で脚本と演出の拘りに呆れていた。センスも色彩感覚も乏しく、もっとモノマニアになってくれと思ったものだ。

 役者をやる人間の中には演出とか戯曲ために裏方をやっておこうという人が多いが、裏方固有のセンスを吸収しようという発想に至らない人間もまた多い。

 

 つまり、衣裳であれ、舞台であれ、作業ローテさえ覚えればという不届き者が多いということだ。そうではなくて、本来ならば、どうセンスを裏方として提供していくかが重要なはず。舞台に関していうなら、抽象とか具象とかまず二分法で考えているのが悪い。

 例えば、舞台構造は簡素だが、インテリアに拘るだとか、舞台構造は街だが、物は減らすとか。これに衣裳や音響、照明の思考がパターンとして並ぶと何通りにも変化する。

 

 抽象とか具象云々ではなくて、観客にどういった視覚/聴覚効果を与えるかが重要であって、脚本の再現性よりも舞台や衣裳は何よりも見栄えなのだ。照明や音響だってそうである。

 

 昔の時代の雰囲気にせよ、現代的なものにせよ、「物」を知らなければ何も始まらない。ピッツェリアとリストランテを混同していたら悪い冗談でしかないし、戦間期のマフィアが現代のスーツを着てたらチンピラにしか見えないということだ。

 

 残念ながら、どれも本当の話。